堕落〜前編〜

 これから僕の人生の堕落の経過を綴りたいと思う。

 僕が今まで生きていた中で最も失敗したと思う事は受験なのだけれど、そもそも僕の高校は皆さんご存知

自称進学校

(偏差値50前後)である。

 そもそもの話、遡り遡って中学2年中間まではまともな成績を取り、学年順位も常に上位の方にはいたのだが、2年期末試験、何故かありもしない余裕を見せ、その結果、見事に合計210点という罪を犯した。

 今まで積み重ねてきた努力の崩落や、担任からの信用を失う僕を客観的に見た僕はその時、事の重大さに気づいた。

 自分で言うのもおかしいが、そもそも僕は先生に好かれる基質であった為、体調不良の際は担任が家まで来てくれた事もある程であった。

 更には、クラス担任の担当である英語の定期試験に関しては80点を切っても毎回評定MAX5を付けてくれていた。

その為、担任からの信用を失うという事が僕にとって、どれだけ自分の首を絞めたかなどは言わずとも知れる。

そこが僕の堕落人生の入口であった。

僕は部活に熱中するあまり、帰宅後はすぐに寝る支度を済ませ、即寝していた。

もちろん勉強などする暇なく、ただただ疲れて寝るだけの日々を過ごし、そのまま部活が終わり、引退した。

が、しかし

まだやる気は起きない

 結果的には入試試験50日前まではほぼ何もせず、定期テストでは良くて300程しか取れていなかった。

もちろん2年生まで目指していた高校も諦め、そのままなるがままに受験校もレベルを落とし、定員の割れた自称進学校に入学した。

その時僕は妥協したその高校に満足してしまっていた。僕は崖っぷちから抜け出したと思った。しかし実際は抜け出せていない。

崖っぷちではない、それどころか僕は

崖から転落していた。

僕はその事にいつまでも気付かず高校生活を過ごした。

ただただ、のうのうと部活をこなし、授業を寝て過ごすだけの日々を送った。

 

部活を引退した僕は勉強を始めた。

勉強をし始めてからの最初の模試では、数学17点、英語70点。。他はもう覚えていない。

とにかく勉強をしなさすぎたそれまでの高校生活は何だったのかと考える暇もなくゴミ屑のような点を取ってしまった。正直何を言わずともこのような点数を取ることは分かりきっていたので内心危機感以外何も抱かなかったが、それでも危機感が僕を勉強へと駆り立てた。

今までの2年間しっかりと勉強してきた友人達は全国平均に届かない程度であった。

実際僕の高校の程度で全国平均を取れていればいい方であった。なんせ自称進学校の〇越高校では圧倒的に推薦が多いのだ。

しっかりとした高校生活を送り、定期試験で真面目に点数を取ってきた者のみが利用できる、ほぼ実力とは関係ないクソみたいな試験()であるが、何故か僕の高校は推薦が強い。

マジで強い。

イラついたので2度も言ってしまったが、正直わけわからんくらい強い。(3度目)

推薦組は基本的に公募推薦以外(特に指定校の大半)は模試で僕より低い点数を取る。

そんな奴らが何故か中堅辺りの大学に合格していた。

先程も書いたが、僕はクソ馬鹿うんちゴミうんこだったので国公立は愚か、3教科に絞る他なく、ゴリ押しで1日出来るだけの勉強をして、夏休み前の模試で、3教科だけであれば7割近くは取れていた。その時点で学校順位は中の上程度にいた僕のモチベーションはかなり上がっていた。

部活引退後、崖の下のポニョだった僕は着実にに崖を登り、崖の上に手が届きそうだと、そう思っていた。しかし、また貴方も後々知ることになるだろうが、今思うと今の僕がその時の僕を客観視すると、僕は未だにただ崖の下で屍を見て喜ぶクソ馬鹿うんちゴミうんこだった。

 僕の悪い癖だが、本当にすぐ油断する。すぐに過信する。僕自身、出来るだけのことをしていたつもりではあったのでようやく報われたと思った。7割の壁をいとも簡単に乗り越えたと思った。受験なんて余裕じゃねえか。そう思った。

長くなりそうなので、僕が崖の下のクソ馬鹿うんちゴミうんこでだった事をを再確認したところで前編を終了したいと思う。

 

 

 

初ブログ(日記)

僕の初のブログになる訳だけど、実際何を書こうとかブログとは何かって言われると正直わからん。

わからんけど始めた。

というのも、思っていたことをTwitterに呟こうとするにも文字数制限がどうにもウザい。

なのでここに綴るハメになっている。

そもそも自身のTwitterは、他人へ向けての発信や呟きではなく、基本的には独り言なのでわざわざフォロワーの前で声を大にしていう必要も無いという考えである。

とりあえず今回これを見ている人は物好きである事を自覚しながら今回のクソくだらないブログを読み捨てながら次回も読んでほしい。